こんにちは、トラせんです。
今回は、トラせんの「学ぶことが苦しくなったあの頃」と、
そこから見えてきた自分なりの“学びの意味”について書いてみます。
◉勉強、ちゃんとやってたはずなのに。
私が小・中学生の頃、勉強は比較的得意な方でした。
成績も悪くなかったし、周りからも「まじめやな〜」って言われるタイプ。
でも、自分では全然“学びを楽しんでる”って感覚はありませんでした。
それも、あくまで“与えられた課題を、ちゃんとこなす”タイプ。
要は、「言われたことを、ちゃんとやる」。
今思えば、それが当たり前だと思い込んでいたし、「言われたことをきっちりやる=まじめで、勉強ができる子」
そんなふうに思い込んでいたんだと思います。
◉偏差値に追われ、“学び”を見失った高校時代

少し背伸びして受験した高校に、なんとか合格できたのですが、
嬉しくて浮かれていたのも束の間、入学式で進路担当の先生が最初に言ったのは、
「国公立大学を目指しましょう!みなさんなら、がんばればいけます!!」
という言葉でした。
当時の私は、自分のやりたいことよりも偏差値の高さに目がいき、
どこかで「偏差値が高い=すごい」と信じて疑いませんでした。
そのため、私もその流れに飲み込まれ、とにかく“偏差値の高い大学に受かるための勉強”をしていました。
でも、
次第に周りのレベルの高さや難しい勉強についていけなくなり、いつのまにか赤点をどうにか取らないためにと、必死で勉強している自分もいて、
だんだんこんなことを考えるようになりました。
「この勉強、なんのためにやってるんやろ?」
「将来、本当に役に立つんか?」
そんな疑問が、少しずつ、でも確実に心に積もっていきました。
◉がんばれば、報われる??

そんなこんなで、高校時代は、正直、勉強は全然うまくいきませんでした。
みんな真面目で良い子だし、部活もみんなで上目指して必死に努力する毎日が楽しい。
そんな自分は、勉強は二の次、部活に明け暮れる日々を送っていました。
部活引退後は、毎日、学校の自習室や家の近所の図書館で受験勉強勉強勉強、、
とにかくあるだけの時間を割いて勉強には励んだつもりでしたが、
結果は見事に失敗の連続でした。
それでも私は、あきらめられず、浪人を決意。
また毎日、図書館で受験勉強勉強勉強、、の日々。
運動量が減ったのに食べる量はそのまま、ストレスもあってか、一年であっという間に10kgも太ってしまっていました。
でも——結果はまたダメでした。それも一点差。
正直、悔しかった。
努力しても報われない。
周りはどんどん合格していくのに、自分だけ置いていかれる感覚。
何度も悔し涙を流しました。
ある程度暗記したり知識増やせばそれなりの成績は取れるし勉強自体、苦ではないけれども、全然楽しさを覚えない。
むしろ、
「この勉強は将来どこでどんな形で生かせるんや?本当に役に立つんか??」
と根本的な部分が薄れる形で過ごしていました。
そんなふうに思い始めたとき、はじめて気づいたんです。
「自分は、数字を追うことばかりで、“学ぶ”ってなんなのか、見失ってたんやな」ってことを。

……そんなモヤモヤを抱えながら、
とりあえず受験して受かった私立の大学へと進みました。
そこで、「学び」への見方が、少しずつ変わっていったのです。
そして、ある出会いや経験を通して、「ああ、学ぶってこういうことかもしれへん」と思える瞬間が、少しずつ増えていったのです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました🌱


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