こんにちは、トラせんです。
現在は、高学年を担当しているトラちですが、これまで出していた宿題をやめて、自主学習ノートという形に切り替えました。
宿題をやめた理由
理由は、
・子どもが「やらされる宿題」になりがちで、本当の意味での学びに結びついていないと感じたこと
・一人ひとりが「自分に必要なこと」「今やりたいこと」に合わせて学ぶ時間を持ってほしいと思ったこと
この二つです。
自主学習のルールはのちほど綴ってみますね。
子どもの言葉にハッとした
「やらされる宿題」ではなく、
「自分で決めて取り組む学び」。
最初はどうなるか少し不安もありました。
でも先日、子どものノートにこんな言葉が書かれていたのです。
「今までは、都道府県が大の苦手だったけれど、自主勉強で何回も繰り返したら、都道府県も県庁所在地も完ぺきに覚えられました。自主勉強の意味は本当にあるんだと実感できました。嬉しい!!」
この言葉を読んだとき、本当にうれしくなりました。
“やらされる学び”から“やりたい学び”へ
宿題は、「やらなければならないこと」になりがちです。
もちろん基礎的な力を積み重ねる意味はありますが、どうしても“義務”の色が濃くなります。
もちろん、発達段階に応じてですが。
一方、自主学習ノートは「自分で学ぶ内容を選ぶ」ことから始まります。
・漢字を練習する子
・算数の計算を繰り返す子
・社会の苦手分野に挑戦する子
取り組むテーマは一人ひとり違います。
繰り返すことで得られる実感
今回の子どもは、社会の都道府県が苦手でした。
けれど、自分で「何度も繰り返す」ことを選び、結果として「覚えられた」という手応えを得た。
「できるようになった」という実感は、何よりの学習のエネルギーです。
これは、与えられた宿題ではなかなか得られにくいものかもしれません。
激務の中でも教師としてのよろこび
「自主勉強には意味がある」と子ども自身が書いてくれたこと。
それは、教師が「やらせたこと」ではなく、子ども自身が「見つけたこと」。
学びを自分ごとにする姿に触れたとき、教師としてのよろこびを強く感じました。
教師は確かに激務だけれども、こうしたちょっとした成長やつぶやきの嬉しさが、なかなか辞められない理由の一つになってしまっているんです😅
おわりに
宿題をやめることがすべての正解ではありません。
ただ、「学びを子どもに委ねてみる」ことで初めて見えてくるものがあると実感しています。
そして、そのプロセスの中で出てきた子どもの言葉に、私自身が勇気をもらっています。
最後まで読んでいただきありがとうございました🐯


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